スナオナシュキ

素直になりたい:30代男性(自営業)

考えたらわかるだろ、と言いたくなる時

考えたらわかるだろ、と思うときが良くある。思ってしまった後に「お前はそんない偉いのか」とか、「なんて高慢でおこがましい考えなんだろう」とか、考え直してはまた、思ってしまう。
 
先日は自分の愛用しているmacbookに思ってしまった。
 
世の中には、痒いところに手が届く商品ってものが数多くあり、通称”ナミダメ”と呼ばれている商品もその一つだ。
 
ナミダメというのは、透明の小さなシリコン製のクッションである。扉の取っ手が当たってしまう壁に貼って、傷つくのを防ぐ役目をしている。仕事柄、非常に良く使う。つまり、とてもお世話になっている。お中元を送りたいぐらいだ。
 
正直、ナミダメ様の好みはよくわからないし、相手も僕のことをよく知らないだろうから、場所をとらず、長持ちして、好き嫌いの少ないであろう ”うどん” を送るのが良いだろう。
 
そのナミダメを仕事で購入したということは、経費として落とすのが通例。日付やら商品名やら金額やらを、PCのソフトに打ち込まなければならない。そこで登場するのが僕の愛用するmac book airだ。バージョンは10.11.6のEl Caption。アップデートはそれなりにするが、基本は面倒くさがりなので後でまとめてやる。
 
早速起動して、溜まったレシートとを片手に経費を打ち込んでいく。喫茶店とホームセンター、交通費関係が8割を占める。そしてナミダメの番が回ってきた。
 
レシートを見ると、商品名は ”ソフトクッション” となっていた。色々呼び方はあるが、この呼び方は優等生タイプのナミダメなんだな、と思いを馳せながらキーボードを打ち、”そふとくっしょん” と打って変換した。
 
そして出てきたのが
 
「祖父とクッション」
 
いやいや、考えたらわかるだろ。
 
”ソフトクッション”と”祖父とクッション”
 
ピンとくるのどっちだろうか。圧倒的に前者の方が多いだろう。と言っても、それだけでキーボードをクラッシュするほど怒り狂っている訳ではない。。後者の方だって、単語としては日常で使う単語の連なりではあるし。しかも、相手は天下のappleだ。もしかしたら、自分の常識の方が間違ってる場合がある。ここは冷静に分析してみた方が良いだろう。自分の常識は一度疑った方が良いと思うのは、僕の嫁(洗濯にうるさい)から学んだことだ、
 
嫁(洗濯にうるさい)は、自信満々に間違った答えを主張する。例えば、最近だとドラクエ11で手に入れた ”大海賊のコート”を "大盗賊のコート” と間違えてウホウホと興奮していた。装備するとキャラクターの見た目が変わる素晴らしいアイテムだ。大した間違いではないけれど、その場のノリで「大盗賊じゃなくて、大海賊だったよ」と指摘した。
すると
 
「いや大盗賊だよ」
「いやいや、大海賊って書いてあったよ」
「違うよ。何言ってんの。大盗賊だって」
 
若干、イラっとしながらも絶対的な自信を持って大盗賊だということを主張した。ここまで自信満々だと、一瞬揺らぎそうになるが、僕はすでに同じルートで大海賊の帽子を手に入れていたので、自信というかそれはもう答えを知っているということなので、揺らぐはずもなかった。
 
「じゃあ、確認してみ」
「言われなくてもするし」
 
もちろん、手に入れたのは大海賊のコートである。テキストでしっかり確認できるし、見た目が海賊の姿になってるから、間違っていたことは一目瞭然だった。
 
「あっ、ほんとだ!やったー、大海賊だ!」
 
なんじゃそら。
 
このように、嫁(洗濯にうるさい)はまったく反省ということをしない。この件に関してはどうでも良いことなので、反省もクソもないが、おかげで間違ったことを自信満々に答えることは治らない。
 
このような経験から、明日は我が身だと考え自分の常識も疑うようにしている。という訳で、なぜ ”祖父とクッション” に変換されたかを考察してみる。
 
CASE1
僕が過去に「祖父と」を多めに打ち込んでいた。
 
”ソフト”より”祖父と” と打った回数が多いことが条件だ。気をつけたいのは、「祖父とソフトボールをプレイした」、「ソフトとソフトタッチなプレイをした」このようば事実が発覚した場合、どちらもノーカウントになってしまうことだ。果たして、僕は過去に”祖父とソフトタッチなプレイ”をしていただろうか?いや、していない。即答だ。というか祖父はもういない。もはや、今使ってるデバイスで「祖父」って1回も打ってないと言っても過言ではない。
 
CASE2
流行りワードに反応した
 
googleで検索をする時、自分が検索しようとしていない単語が予測変換で候補にあがる。その状況が僕のmacbookAirで起こっているかもしれない。
 
僕が流行りに疎いだけで、乃木坂46辺りで「祖父とクッション」って曲を出しているはずだ。いや、出そうと思ったが発売にまで至らなかったのか?ファンの間で幻とされている名曲という可能性もある。話題にあがったのは、おそらくAKBのポーニーテールとシュシュが売れたあの時代だろう。その時代のことを調べてみよう。少しワクワクする。開けていけないパンドラの箱は…
 
開かなかった。
 
というか、パンドラの”パン”もない。
もうパンドラそのものがない。
言ってしまえば、箱すらない。
なにもない。
虚無。
 
CASE3
国家の陰謀
 
僕は本当のところ、この説を疑っている。”そふとくっしょん”を”祖父とクッション”と
変換された理由は国家の陰謀だった。誰もが知っている通り、世は絶対不可避の高齢化社会。どのくらい不可避ってアンパンマンの最後に繰り出すアンパンチぐらい不可避。
 
もしバイキンマンがアンパンチ対策をして、避ける、ガードする、もしくはダメージを
そのまま跳ね返す、みたいな事象を起こそうものなら放送事故である。番組終了間際にそんな破天荒なことされたら、尺も足りない。最後にカバオくんが空腹を訴える場面を削ったとしても到底足りるものではない。そのくらい不可避の高齢化社会なのだ。それを見据えた我が国が、この問題への対策を怠るわけがない。
 
その対策の一つとして、そふとくっしょんを定期的に”祖父とクッション”に強制変換させていることが考えられる。そして”祖父とクッション”というキーワードから連想されるイメージ。国家が耳元で囁くメッセージにお気づきだろうか。
 
「お年寄りを大切にね…」
「優先席は笑顔で譲ろうね…」
「年金払ってね…」
 
僕にはそう聞こえた。祖父+やわらかいモノ=お年寄りを大事に、ちょっと安易すぎやしないかとも思う。でも、思っちゃったんだからしょうがない。しかし、イメージは十人十色のままで良いと考えられる。バラバラで良い。
 
なぜなら、変換させた後は国民の自主性を尊重し、行動を任せるという個と国家のつながりを意識した対策なのだ。マーベラス!もはや改革レベルだ。
 
ただ、ここまで考えてみて、もう一度再検討してみよう。僕の説は間違ってるのではないだろうかと。しっかり考えなければならない。まぁ、答えは明確だ間違っている。考えなくても分かる。
 
考えたらわかるだろ、と思った結果、考えなくても分かることを考えたお話。