スナオナシュキ

素直になりたい:30代男性(自営業)

気づかないウチにあなたもドジっ子と暮らしていますよ

リアルドジっ子はすぐそばにいる。

日本が誇る二次元と呼ばれる世界では、特徴を誇張しすぎた性格や行動パターンがある。

それは総じてキャラクター性として愛されるものだが、そのまま三次元にコンバートするととんでもなく嫌われる。

 

簡単に言うと

 

ドジっ子って現実にいたら、ただ嫌われるだけのストレス要員だよね、という話だ。(ツンデレでも可)

 

 

例えば、ここに一人のドジっ子がいたとする 。

 

皿を洗えばすべてを破壊し、料理をすれば黒以外の色味を出せない。 

風呂を入れれば全部屋が洪水になり、アイロンを掛ければ火事になる。 

この二行だけでも被害総額は人生を懸けるレベルだ。

 

道を歩けば棒に当たり、石があれば必ず転倒する。

そして本日のパンツを披露する。 それが日課となる。

 

アニメという娯楽を抵抗なく嗜む人であれば、どこかで見たようなシチュエーションだろう。 

可愛くもあれば、呆れもする。日が悪いとイラっとすることもあるが、一作品に一人は配属される 

定番キャラクターとも言える。 

 

アニメだから大抵のことはフィクションだと割り切って鑑賞しているが、アニメだとしても素直に飲み込めない描写がある。 

 

ドジっ子現象の一つにある「絡まる」という現象だ。 

細くて長い紐状のモノを渡すと絡まる。 

あ~れ~、とか。 

ひぃーん、とか。 

どしえー、とか言いながら絡まる。 

 

ただし、絡まった最終形態が”亀甲縛り”になるときは完全なネタであると分かるので、僕の中でしっかり吸収できる。 

 

簡単に言うと

 

亀甲縛りはすぐに身体に浸透する。 

 

いや言いたいのはまったく別だった。

 

 

飲み込めないのは、細長い紐状のモノで、全身がぐちゃぐちゃに絡まるパターンだ。 

あれには、どうしても”あざとさ”を感じてしまう。 

 

モノを割ろうが、食べ物を燃やそうが、転んでパンツ見せようが、そこには 

人と人との掛け合いが存在し、ドジをする人もドジを見る人もお互いが演者になっている。

それに、誰もがやってしまう可能性があるミスを誇張した印象を受ける。

 

それに比べて、「絡まる」ドジはどうだろうか? 

絡まる場合だけドジっ子の一人舞台になってはいないかい? 

こう感じるのは僕だけだろうか?

 

ちょっと縄跳びで流れを整理してみよう。 

 

男の子が縄跳びをやっている。

女の子が私もやりたいと言い出す。 

やってみなよ、と縄跳びをわたす。 

ひぃーん、と言ってぐちゃぐちゃに絡まる。

 

… 

 

やはり、あざとくないか? 

自分から絡まりに言ってるだろ。

 

 他のドジは、仕事であったり日常生活で起こりうることだけど、縄跳びを始め、細長い紐状のモノは自分から求めないと手に入らない。

 

 

 

だから現実世界で、勝手に、複雑に、絡まる事なんてこと絶対にない!

 

 

そう確信して、僕はバックからイヤホンを取り出した。

 

 

ドジっ子はすぐそこにいた。 

 

 

ひぃーん。